今日は小田貴月(おだ たか)さんについて調査したいと思います。
小田さんは、映画界の大スター・高倉健さんの養女であり、事実上のパートナーです。
女優やライターとして活躍していた人でもあります。
今日はそんな小田貴月さんプロフィールや経歴、離婚歴などについてwiki風にまとめました。
小田貴月wiki経歴
さっそく、小田貴月さんのプロフィールや経歴を見ていきましょう。
名前/小田貴月(おだ たか)
旧芸名/貴倉 良子
年齢/59歳(2023年6月現在)
生年月日/1964年1月13日
出身/東京
身長/163㎝
職業/女優、ライター
小田さんは、千代田女学園高校在学中にスカウトされました。
いったんは同短大に進学したのですが、中退をして芸能界に入ります。
出演作品は時代劇やドラマ、ドキュメンタリー番組など様々です。一部をご紹介します。
・必殺仕事人Ⅲ(1982年)
・遊びじゃないのよ、この恋は(1986年)
・必殺仕事人Ⅴ(1986年)
・水戸黄門第16部(1986年) など
また、テレビディレクターや、ホテルジャーナリスト、ライターとしての顔も持ち、書籍の出版もしています。
その際は本名の河野貴名義で活動をしていたようです。
小田貴月は離婚歴が2回!
小田さんは高倉健さんのパートナーとして17年間連れ添った女性です。
詳しくは後述しますが、32歳で高倉さんと出会い、晩年の高倉さんを支えてきました。
そんな小田さんには、実は離婚歴が2回あります。
それぞれの結婚を見ていきましょう。
初めての結婚は26歳頃。
日本人とフランス人のハーフだったとの事です。
小田さんの収入をあてにする様子に愛想をつかして、1か月くらいで実家へ戻ったそうです。
2回目はNHKのプロデューサーと結婚したそうです。
おそらく20代後半頃でしょう。
お相手の男性もバツイチだったため慰謝料や養育費などの出費が多く、1年位で離婚に至ったとの事です。
どちらの結婚も長続きしなかったようです。
短い期間に、結婚と離婚を繰り返していた小田さんは、情熱的で恋多き女性だったのかも知れません。
まさかこの後、高倉健さんと出会って深い関係になるとは思ってもいなかったことと思います。
小田貴月は高倉健の養女でありパートナー
小田貴月さんは、高倉健さんの養女で、パートナーです。
法律上の子で、事実上は妻、という少し不思議な関係です。
二人はどのようにして出会ったのでしょうか。
出会いは1996年。
高倉健さんが65歳、小田貴月さんが32歳の頃ですね。
雑誌の仕事で訪れていた香港のレストランで偶然、高倉健さんがいらっしゃったんだとか。
高倉さんの邪魔をしないように距離をとっていた小田さん。
その気遣いを察した高倉さんは『気をつかっていただいてありがとうございました。いい仕事をしてくださいね』と言って去っていたそうです。
とても素敵な方ですね、高倉健さん。
文通から交流が始まり養女に
出来上がった雑誌を高倉さんに送った事がきっかけで、文通が始まります。
1996年頃と言えば、ポケベルからPHSが主流になりつつある頃だったと思います。
そんな時代に手紙でやり取りするなんて、高倉健さんのイメージそのものです。
手紙での交流を約1年続けたところで、ようやく高倉さんの方から電話番号が伝えられたんだとか。
電話番号を交換してからは急速に距離が縮まり、二人で生活するようになるまでは時間はかかりませんでした。
そして、2013年5月に高倉健さんの養女になりました。
ここで、なぜ結婚ではなかったのかという疑問が浮かびます。
実際高倉さんは、長期ロケで家を空けるとき、自身のサインがされた婚姻届けを置いて出かけたと言います。
『これが僕の気持ち…』と、どこまでもかっこいい高倉さんですが、婚姻届けが提出されることはありませんでした。
結婚で世間が騒いだら、高倉さんの作品に影響する。と考えたからだそうです。
葛藤していた小田さんに、高倉さんは『じゃあ養女はどうか?』という話になり、養子縁組に決着したようです。
結婚しなかったのは、最後まで役者を貫きたいと考える高倉さんの気持ちを汲んでの事だったんですね。
一部では、遺産目当てと騒がれるからでは? などとささやく人もいるようですが、
奥ゆかしく、できた女性とは小田さんのような方ではないかと思ってしまいます。
お互いが深く相手を思いやる様子がまるでドラマのようです。
まとめ
以上『小田貴月のwiki経歴!離婚歴は2回!高倉健の養女でありパートナー』とのテーマでまとめてみました。
晩年の高倉健さんを陰で支えた女性は、綺麗で芯があって、穏やかな女性だったんですね。
最後まで読んでいただきありがとうございました!