自由民主党所属の参議院議員で2023年8月現在、農林水産大臣を務める野村哲郎氏。
出身大学や高校はどちらなのでしょうか。
今日は野村氏の学歴や経歴などのプロフィールをwiki風にまとめたいと思います。
野村哲郎のwikiプロフィール

名前/野村 哲郎(のむら てつろう)
生年月日/1943年11月20日
年齢/79歳(2023年8月現在)
出身/鹿児島県霧島市 (当時の鹿児島県蛤良郡隼人町)
趣味/菜園作り、読書、ゴルフ中継、落語鑑賞
好きな言葉/汗は自分でかきなさい。手柄は人にあげなさい。
座右の銘/一期一会
信条/真実一路(偽りのない真心を持って一筋に進むこと)
野村氏は太平洋戦争のさなか、現在の鹿児島県霧島市で生まれました。
2歳になる年に終戦を迎えているので、戦争の記憶はないでしょうが、壮絶な時代に生まれたんですね。
野村氏の父は出兵していて、1945年6月にフィリピンで戦死しているとの情報がありました。
父親の記憶はほとんどないそうです。2歳になる前の事なので無理もありません。
大黒柱を亡くした戦後の生活は大変だったに違いありません。
野村哲郎の学歴や経歴!ラサール高校出身で大学は行っていない?
野村哲郎氏の学歴や経歴を見ていきましょう。
野村哲郎の学歴

野村氏の出身高校は
ラ・サール高校です。
ラ・サール高校と言えば、私立の男子校で偏差値78の超進学校。
難易度ランキングは鹿児島県ではダントツの1位、日本国内でもトップクラスの超難関校で有名な高校です。
これまでも政治家や学者など、数々の著名人を輩出しており、全国から生徒が集まる学校です。
ラ・サール学園は中学校も併設されていて、中学から高校へ内部進学するパターンと高校から入学するパターンがあるそうです。
野村氏の出身中学は分かりませんでしたが、ラ・サール中学に通っていた可能性もありますね。
野村哲郎は大学は行っていない?

ラ・サール高校を卒業する生徒のほとんどが大学に進学します。
東大や京大の合格者も珍しくなく、早稲田や慶應など有名私立大学の合格者も多いようです。
野村氏はどうなのでしょうか。
どうやら野村氏は大学には行っていないようです。
野村氏のホームページを見ても略歴は
昭和37年/ラ・サール高校卒業
となっていることから、最終学歴はラ・サール高校なのではないかと思います。
大学には最初から進学しなかったのか、事情があって進学できなかったのか、はたまた中退したのか等についての情報は見つかりませんでした。
先ほど述べたように、父親は戦死しています。
父親不在の生活は経済的にも大変で、大学に通う余裕まではなかった、という事も考えられますね。
政治家と言えば “東大法学部卒” が多い中、高卒の野村氏は現代では珍しいタイプではないかと思います。
とは言え、ラ・サール高校なので、十分スゴイのですが。。。
ある意味、高卒で大臣まで登り詰める事の方がスゴイのかも知れません。
そういえば昭和の大物政治家、田中角栄氏も大学には行っていませんでしたね。
野村哲郎の経歴

野村氏の経歴も観ていこうと思います。
1962年/ラ・サール高校を卒業
1966年/中馬辰猪衆議院議員の秘書となる
1969年/鹿児島県農業協同組合中央会に入職
2004年/第20回衆議院議員選挙で、鹿児島選挙区から出馬し初当選
2008年/福田康夫改造内閣において農林水産大臣政務官に就任
2022年/第26回衆議院議員選挙にて4選を果たす
同年/第2次岸田改造内閣において農林水産大臣として初入閣
高校を卒業した野村氏は、数年後中馬辰猪(ちゅうまん たつい)衆議院議員の秘書になっています。
その間、何をしていたかは分かっておりません。
国会議員の秘書と言うと、大卒の学歴が求められそうですがどうなのでしょうか。
政策担当秘書になるためには、学歴による制限はありませんが、「国会議員政策担当秘書」の資格試験に合格するか、または一定の条件を満たし選考採用審査で認定される必要があります。
衆議院秘書協議会
特に学歴は関係ないんですね。
その他、一般事務などをこなす秘書であれば、求人応募や、紹介などでなれるそうです。
高校卒業から秘書になるまでの数年間は、政策秘書になるために下積みや勉強をしていたのかも知れませんね。
1969年からは鹿児島のJAグループの代表機関で約35年も勤めた野村氏。
その後の議員生活と、JA時代を合わせると、半世紀以上もの間農政に携わってきました。
そんな野村氏は、農林水産大臣になるべくしてなった、と言えそうですね。
まとめ
以上『野村哲郎の学歴や経歴を調査!ラサール高校出身で大学は行っていない?』との内容で調査しました。
80歳になる年齢ですが、まだまだ現役で奮闘している野村氏。
今後の活動にも注目していきたいと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました!
